10 南backnexttop
 ぐずついた天気が続いていたのが嘘のように晴れた金曜日、放課後の職員室。
 隣の席で、千石は上機嫌だった。
 「いやー、飲み会日和だよねー♪ うん、楽しみ楽しみ!」
 「夜なんだから、天気は関係ないだろ……」
 「まぁまぁ南、細かいこと気にしないでさー!」
 俺の言葉なんてほとんど耳に入っていないであろう千石を見て、俺はひそかにため息をついた。
 しかし千石は、俺の顔をのぞきこんでくる。
 「おや〜? 南先生、何かお悩みでもあるのですかな? ……あ、さては雅美ちゃんと二人が良かっ……痛っ!」
 机の上にあった地図帳を丸め、思わず千石の頭を殴ってしまう。
 「あ、悪い……」
 こんなことじゃ図星だとかなんとか突っ込まれかねない、と一瞬覚悟したが、千石は苦笑しながら頭をさすった。
 「もう、相変わらず冗談通じないんだからなー。……ま、でもたまには南も楽しみなよ。んじゃ後で、お店集合ね♪」
 途中でどこかに寄ってから行くつもりか、早々と帰り支度を済ませて、千石は手を振りながら職員室を出て行った。
 ――まったく、妙なところで鋭いヤツだ。
 あまり訊かれたくなかったのを、ちゃんとわかってたんだろう。
 いくら、「サイコロの目の問題なんて、あてずっぽうでも書けばなんか当たるよー」などと生徒に教えている、ちょっぴりいいかげんな数学教師だったとしても……。

 「室町先生、今日行くのか? 体調が良くないみたいだ、って東方先生が心配してたけど……」
 「ああ、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません、おかげさまで良くなりましたよ。それに、俺もちょっとくらい飲んで、うさ晴らししたいですからね」
 一年後輩の室町に声をかけると、思ったより元気な返事が返ってきた。
 「じゃあ、良かったら……」
 一緒に行こう、と言いかけたとき、錦織が先に室町に声をかけていた。
 「行こう、室町先生! 早く行かないと!」
 「……予約してあるんだから、売り切れの心配はないでしょう」
 「でも、一秒でも早く手にしたいじゃないか! あ、南先生、また後でな!」
 半ば強引に室町の腕を引っぱる錦織は、もう片方の手を俺に振る。
 室町は俺に頭を下げた。
 「じゃあ南先生、また後ほど」
 「あ、ああ……」
 ――お前たち、もしかして……いや、そんなことを訊くのは無粋だよな……。
 そんな二人の会話に口を挟めるわけもなく、二人は連れ立って行ってしまった。

 新渡米と喜多もすでに帰った後らしく、他に一緒に行けそうなメンツは、太一と亜久津と……雅美、だけだった。
 ので、とりあえず家庭科室に向かう。
 俺の予想が正しければ、美術教師の太一もそこにいるはずである。
 「亜久津先生、入るぞ」
 開け放たれているドアをいちおうコンコン、とノックして中をのぞき込む。
 すると太一が、閉ざされた家庭科準備室のドアをどんどん叩いていた。
 「亜久津せんせー、行きましょうですー! 出てきてくださいですー!」
 「……太一……じゃなかった壇先生、何やってんだ?」
 「あ、南先生! 聞いてくださいですっ、亜久津先生が出てきてくれないんです!」
 太一はとても不本意そうな表情を浮かべている。
 きっと、どうしても亜久津と一緒に行きたいんだろう。学生時代から太一は、亜久津のことをとても慕っていたから。
 その気持ちはとても純粋でひたむきなもので、先輩である俺たちには微笑ましく見えたものだったが、今、この状況で一つだけ、太一に訊いておきたいことがあった。
 俺は、できるだけ先輩らしく映るような穏やかな笑みを浮かべ、太一に尋ねた。
 「なぁ、壇先生。亜久津先生は飲み会に行くって言ってたのかな?」
 太一は自信たっぷりに言い切った。
 「もちろんです! ボクが千石先輩……先生に、『ボクが亜久津先生を責任持って連れて行くです!』って約束したです!」
 「……………………」
 ――それはもしや、亜久津の意思じゃないんじゃないか?
 そう思ったが、太一はまた準備室のドアを叩き、さらに「今、南主任先生も来てるですよ! もうぜったい逃がさないですよー!」などと叫びはじめる。
 「ちょ、ちょっと待て太一! 俺を巻き込むな!」
 『壇先生』と呼ぶのも忘れ、慌てて俺は亜久津に呼びかけた。
 「あ、亜久津先生! お、俺は偶然ここに来ただけだからな! あとは二人で解決してくれ!」
 明らかな逃げ口上を述べ、これ以上巻き込まれないように俺は家庭科室を飛び出した。

 職員室に戻ると、やっぱり雅美が待っていた。
 「じゃあ行くか、南くん」
 「……ああ、そうだな」
 断る理由はないので、とりあえずうなずいた。

 数日前のこと。
 とある女生徒から、俺たちの仲を知っているような、意味深なセリフを聞いた。
 なので、雅美を――まぁ、雅美が言うわけはないとは思ってはいたけれど――問いつめてみたら、主任になった俺を応援はしているけれど、そのことで忙しくなってしまったのでゆっくり話す機会がない、というふうに彼女に言っていたらしい。
 雅美がそう言うなら、それ以上のことは言っていないのだろう、と信じていたけれど、それをきっかけに考えさせられるところは、いろいろとあった。

 俺ってそんなに余裕がなさそうだったのかな、とか。
 それから、俺が一緒にいて肩の力を抜くことができる唯一の存在が雅美だから……つい雅美に甘えてしまったところもあったんだろうな、とか。

 ――あと、我ながら認めたくない、子どもじみた考えなんだが……
 俺とコミュニケーションが取れない、なんてことを、俺自身じゃなく生徒に言ってたのが、な。
 日常的に中学生と触れ合っている俺(たち)は、女の子のほうがやっぱり精神年齢が高いことは実感するんだが、でも……俺じゃだめだったのかな、とか。
 そんなことも考えていて、二人きりになると下手なことを言ってしまいそうだったので、できれば避けたかった。
 だから他に一緒に行ってくれそうなヤツを探したんだが、結局誰も見つからなかったのだ。

 「職員室に行ってみたら、ほとんど誰もいなくて驚いたよ。健太郎もいないから、かなりびびったんだけど」
 「ああ、みんなけっこうすぐ帰っちまったみたいだからな。そういえばさっき、太一がさ……」
 そんな調子で、懸念していた余計なことを口にすることなく、店の近くまで来たら、千石が向こうから歩いてきた。
 「おっ、地味’sらぶらぶー!……うげっ」
 すかさず雅美がヘッドロック、俺はボディブロー。
 長年のダブルスパートナーである。これくらいはできて当然だが、いくら20歳を過ぎても、子どもな部分はやっぱりあって、思わず俺たちは共犯の笑みを交わす。
 ――俺は、それが嬉しくて。気持ちが少し軽くなった気がした。

 そのとき、がらりという音とともに、店のドアが開く。
 「おや、皆さん遅かったですねぇ。失礼して、先に始めようかと思っていたところですよ」
 その内側には、ニマニマと笑みを浮かべた伴田校長が立っていた。
 「ば、伴じ……校長!?」
 思わず俺が言うと、「いやいや南くん、今日は無礼講ですから、『伴爺』で充分ですよ」と言う。
 ――い、いや、それを訊きたかったんじゃないんだが……
 そう思いながら、俺は千石にこっそり囁く。
 「伴田先生も呼んだのか?」
 「んにゃー。でもまぁ来てくれたんだし、いーんじゃない?」
 あくまで軽い口調で言い、千石は「伴爺、遅れてメンゴー☆ これからみんな来ると思うからさっ!」と伴田先生の隣に陣取り、「店員さーん、伴爺のいつものボトルお願いねー!」などと注文している。
 さっと伴爺の手もとに運ばれてきたマムシ酒を見て、俺と雅美は思わず顔を見合わせた。 
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