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 「まぁまぁ南くん達も座って下さい。何でしたらいかがです? これ」
 「南は、俺の前ね! 雅美ちゃんは伴爺の前っ」
 ボトルを持ち上げニッコリ笑う伴田先生に、隣りの健太郎は明らかに引きつっていた。
 「いえ、お気持ちはありがたいですが、自分でボトルを入れられるようになるまで、遠慮しておきます。な、南くん?」
 「伴田先生、お注ぎします」
 俺がもっともらしいことを言って断ると、健太郎は千石に言われるまま彼の正面に座り、ぎこちない笑顔で伴田先生にお酌し始めた。
 人数が多いから幹事の千石が予約を入れてくれ、座敷に通されたが、俺の正面は伴田先生で、左横は壁、右は健太郎。利き腕側に南くんがいるのは何となく嬉しいものだ。
 ──千石は単に南の正面がよかっただけだと思うが。

 「他の奴らはどうしてるんだ? 千石、おまえの携帯に連絡入ってないか?」
 健太郎はこんなところでも、色々と気を遣ってしまう性分らしい。
 「いや〜。もうすぐ来るでしょ。先始めちゃわない? 伴爺一人で一杯やるのも何だしさ。今日は俺に任せておいてよ!」
 携帯を開閉させながら、千石が微笑む。いい加減そうで、大勢が集まる時の気配りに関しては、長けているこいつがいなければ、と思うことが多々である。
 「そうだな。とりあえず飲み物頼むか。はい、南くん」
 俺は片手でネクタイを緩めながら、健太郎にメニューを手渡した。余り酒が得意でない彼は、酒類のページを真剣に覗き込んでいる。
 「これとか、多分南くん好きだと思うぞ。こっちは、口当たりはいいが、度数が高いから」
 「そうか。じゃあ次、それにしてみようかな。俺も最初はビールにする」
 「あぁ。飲めなかったら俺が貰うから。千石もビールでいい…」
 俺が顔を上げると、千石と伴田先生が揃ってニマニマしながら、こちらを見つめていた。

 「…すみません。俺、お手洗いに行って来ます」
 居たたまれなくなったのか、隣りの健太郎が腰を上げた。
 「あ、俺煙草買ってくる。清純くん、中生三つ宜しくな」
 別に本当は特別吸いたくもなかったが、色々考えることがあるとたまに吸うようになった俺を、健太郎は「医者の不養生になるぞ」と咎めつつも、決して止めろとは言わない。こういうところが、彼の優しさなのだ。

 「雅美、本当は今日来たくなかったのか…?」
 案の定、座敷を出ると健太郎が俺を心配そうに見上げてきた。健太郎がいるなら、特別なことがなくたって俺は嬉しいのに、そういうことを微塵にも思わないところが、変わらないというか、何というか…。そんな無意識の上目遣いは反則通り越して犯罪だと言うんだよ。
 「煙草なんて口実に決まってるだろう」
 自販機の前で目的のものを買うと、内ポケットにねじ込み、律儀にトイレへ向かう健太郎について行く。やはりというか、元から用を足す気などない彼は、水道で形ばかりの手洗いをしている。俺は個室のドアに寄り掛かって、腰を屈めている彼を後ろから見つめた。

 中学の頃からこうやって彼の後衛を務めてきたが、いつもは頼りがいのある背中が、時々酷く小さく見えて、どうしようもない衝動にかられるのもまた事実だった。
 あの頃はまだ、自分の想いにさえ不安で、見守りたいなんて余裕があったのかも覚えていないが、そんな時も健太郎は、俺のことを気にかけてくれていた。いったい何年俺の方が、見えない優しさに包まれてきたというのだろう。

 恐らく本人は、今回も俺に甘えっぱなしだと引け目があって、それに加えて俺が健太郎本人ではなく、第三者の女子保健委員に相談を持ちかけたところが、気になっているといったところであろう。
ただでさえいくつものことを同時に考えられない奴なのだ。ここはせめて、私事の悩みは和らげておきたいところである。

 「健太郎さ、あの子のことで、さっきから気にしているみたいだが…俺、相談事は、健太郎以外しないから」
 「え?」
 鏡越しに俺と視線があった健太郎は、どうしてそれをと言わんばかりに目を見開いた。
 「本当は今日にでもじっくり話をしよう、って思ってたんだが…決めた。明日は休みだし、俺んち連れて帰るから」
 そう言うと、俺は眼鏡を外してもう一度健太郎を見た。この合図で、ただの話し合いでは終わらないと、彼にもわかるはずである。このままでは、酔って目元を紅くした彼が視界に入ったりなどしたら、自分がどういう感情を持て余すかは目に見えていた。これは、そうなる前の、勢いでないという俺なりのせめてもの紳士的──男相手であるから正確には対等な──素振りのつもりだ。

 「じゃ、先に戻ってるな」
 俺はそれだけ言い終えると、再び眼鏡を装着し、トイレを後にした。
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