17 東方 | back | next | top |
──南が、別れたがっている…? 頭の中で、自分で考えてしまったその言葉をずっと繰り返していた。 その割には、俺の態度に、残念でもないが、不思議そうな顔をしていたし。だからって、健太郎から誘うなんてことはまず、ないというか…できないんだろうか。 そりゃあ、あの店を出るまでは、正直理性が持つか自信がなかったし、俺の部屋に近付くにつれて、彼もほんの僅かだが顔が強張っていた、と記憶している。 ──その時点でもう、俺の意識は違う方へ向かっていたから、曖昧な記憶だが。 自分で呼んでおいて、話そうと思っていた主任になってからの二人について、とか、久々に健太郎とくつろげたらな、とか。そんなことは綺麗さっぱり忘れてしまって、ただ何も考えないように、ひたすら焼酎をあおっていた。 学生時代に鍛えられた記憶はそれほどないが、酒に強い家系に生まれたせいなのか、記憶が抜けたり泥酔したり、ハメを外したことはなかった。酔うと多少は陽気になるが、顔には殆ど出ないから、どちらかというと好んでもいないのに、皆の世話係である。それでも、気の置けない仲間がいるというのは、いいなと思う。 でもこの日ほど、自分の酒の強さを恨めしく思ったことはない。 健太郎は体質的には弱いが、雰囲気に酔うのが好きだから、例え自分はそれほど楽しくない場だったとしても、そういう彼を見ているだけで俺は満足だ。昔からの癖で、健太郎のことを第一に考えてしまう。 何て言うのか、他の人のことは割と、どうでもいいとは違うが、人は人、と思って観察してしまう方だ。反面、予想もしないことをされると、弱い。 店を出て二人きりになった時、「今日は余り楽しくなかったみたいだな?」なんて健太郎に見破られると、内心どうしていいのか焦る。 彼のことは時に保護者のような立場で、時にダブルスの片割れという立場で、遠くから近くから見つめてきた。 それでも、彼に自分のことを心配されたり、注目されるのは苦手だ。俺が彼に対して一方的に悩んだり焦がれていればいい話で。それでなくとも学生の時から何かと気苦労の絶えない人だから。そこが健太郎にしたら物足りないんだろう、と、頭ではわかっているつもりだった。 なんてことを胸に秘めつつ、何でもないふりで横にいた。時には心配してくれることに優越感を覚えたりもした。それをずっと引き摺っているから、つい誤魔化すための余裕のある(少なくとも健太郎にはそう見える)態度も身についた。それも全て、頭で前もって考えることができれば、の話だ。 ──こんなにも執着しているんだ、健太郎に。 彼といることはとても自然なことなのに、自分はどんどん不自然になっていく。もし健太郎も同じことを考えて、あんな提案を告げたのなら、ただお互いに回り道をしているだけだったな、と笑えるのに、な。 と、この日の為に用意していた上等の(健太郎には焼酎なんて選択肢はないんだけれど、自己満足の為の)酒を、味もさっぱりわからないまま、寧ろ苦いと感じるまま、ただ喉に流し込んでいたら、向かいにいた健太郎が視界から消えた。 ハッ、と我に返ると、座卓の上の檸檬酒とサンザシ酒の瓶がほぼ空になっていた。健太郎に渡したのは氷だけだったし、彼にしては濃いめの酒を飲ませたことになる。この年になれば飲まないといられない日だってあるし、ことさら健太郎はストレス発散が下手な奴だから、俺だってむげに飲むなとは言わない。それでも目のつくところならやんわりとセーブさせていたつもりだったし、それが酒の強い俺の利点でもあったんだが。 身を乗り出すと健太郎は仰向けになったまま、寝ているようだった。俺は近寄ると、彼の肩に手をかけた。 「健太郎…ここで寝ると風邪引くぞ…まだ夜は涼しいんだから…。ちょっと待ってろよ」 普段は隣りに一糸纏わぬ格好で寝させることもあるのに、この時の俺は保健医、もしくは保護者としての意識が働いていた。 いくら俺の方が身長が10センチほど高いとはいえ、意識のない大の男を抱き上げるわけには行かなくて、さて掛け布団だけでも、と思い、腰を上げようとすると、健太郎が俺の袖を掴んだ。 「……でも、本当にごめん、雅美……」 いつもとは違う、今にも泣きそうな声でそう言われ、胸が詰まった。 「健太郎は謝ること、ないだろ?」 そう言うと、健太郎の身体の両脇に手をついて、あやすように瞼に唇を落とした。顔を上げるとすぐ傍に、愛しい彼を感じるとともに、何だかとても遠くにいってしまうような気がして、今度はその唇に自分のそれを重ねた。 「俺こそ…ごめんな」 一度するともっと欲しくなって、ついばむように何度も繰り返すと、健太郎のほんのり色付いた目元や首筋に視覚からも刺激を受ける。 ──まずい、これ以上したら、肌に触れたくなる。 頭の中で警笛が鳴っているのに、ひとたび抱き締めると、久々に伝わる彼の鼓動に、温もりに、歯止めが効かない。 男相手にこんな気持ちを抱くのは、健太郎だけなんだと、健太郎が許すのも、この俺だけなんだと、確かめたくなる。そんな自己顕示欲を打ち消すように、健太郎の唇を塞いだ。 「ん…」 苦しくなったのか、それとも寝返りなのか、身じろぎしながら洩れた吐息に、思わず身を起すと。 薄っすら開いた健太郎の目。 「…健太郎、ごめん、俺…」 本題から外れて、酔った相手に何をしているんだと、己の浅ましさを嘆かれるだろうことを予想し、目を反らして俯いてしまう。 「…俺も、ごめん。…やっと言えたな、これ」 ふと背中に回された腕に顔を上げると、照れ臭そうに笑う彼がいた。 「健太郎…」 「おまえ、焼酎くさいんだけど…何か今言えそうだから、さ…。あと、その…ここは、圧し掛かられると背中が痛いんだが…」 そう言うと、健太郎からお返しをもらう。 先程よりさらに耳まで紅くなった彼は、檸檬よりも甘い味がした。 |
back | next | top |