20 南backnexttop
 ――日曜の朝、背後でくしゃみの音が聞こえたとき、ちょっと目が覚めた。
 たぶん俺が布団を独り占めしているせいだとは思ったけれど、何より人の言葉を曲解して結局家に帰してくれなかった不良教職員(……この場合、外泊を続けている俺も不良教職員なんだろうか)にも少し逆襲をしないと気が済まなかったので、寝たふりを続けていたら――そのまままた寝入ってしまった。
 俺、もしかして……ガキ?

 そして、週のはじまり。さすがに俺もこの日は自宅から出勤していた。
 月曜の朝は全校集会があり、その前に職員の定例会が行われるので、職員室の朝は早い。
 「――本日の通達事項は以上です。今週もがんばっていきましょうね。では、全校集会に行きましょうか」
 『はーい!』『はい』
 校長の伴田先生の言葉に肯定的な返事をした、新渡米と室町、亜久津以外の教職員たち。
 俺は、ちょっと腰が痛いところを無理に返事したんだがな。……誰のせいとは言わないけど!
 ところで伴爺はいつも年齢を感じさせない(というか、昔のアルバムを見てもまったく変わっていない)のだが、今朝は一段とつやつやしているように見える。
 ――逆に、亜久津がやつれているように見えるのが気になるけど……なんだか気の毒だし、先週末の飲み会の後に何があったのかは、あえて訊かないでおいた。
 あまりに体調がすぐれないようだったら、保健医の東方先生が気づいてなんとかしてくださるだろうしな。
 休みは土・日と二日あったはずなのに、月曜から二人して目を充血させている錦織と室町のことも、もう全面的に東方先生にお任せである。
 ――別に、責任逃避するつもりはない。
 ただ、俺は腰が痛いのに、そんなそぶりはみじんも見せない(痛くないのかも)保健医がちょっと小憎らしいのはある。これもささやかな逆襲として、受け取ってもらおうじゃないか。

 そんなことを考えながら全校集会を終え、職員室に戻ってきたら、隣の席の千石が俺に言った。
 「そういえば南、他校とのなんかの会議の日程が変わって、明後日に早まったらしいじゃん? 大変だよねー、がんばってね?」
 「…………は?」
 「ほら、言ったじゃん! 週末の飲み会でとある学校の先生に会ったって!」
 ――思い出した。
 「そうだお前、どこの学校の先生ナンパしてきたんだよ! それになんかの会議ってなんだ! 主任会議なのか、科目研究会なのか!?」
 生徒がいないのをいいことに、思わず千石の首根っこを締めあげたが、千石はあくまで余裕の態度である。
 「もう、南ちゃんったらせっかちなんだからぁ☆ それに、当日までヒミツだったほうがドキドキするでしょー?」
 「……もういい、他のヤツに訊く」
 一発、社会科の教科書で頭をはたいておいて、俺は千石を放り出した。
 「なぁ、新渡米と喜多も行ったんだろ? どこの学校の先生に会ったんだ? それで、会議のこと聞いたか?」
 新渡米と喜多に尋ねてみると、新渡米は意味ありげに「う〜ん」とうなずく。
 「会ったよ〜ん? でも、やっぱここはタダで情報提供ってワケには……」
 「やだなー新渡米先輩、先輩はずっとべろべろで他の先生たちに弄ばれてただけじゃないですか!」
 ――ちょっと待て。今……なにか、聞き捨てならないことが……?
 「あ、弄んでたとも言いますよね?」
 にこにこしている喜多の表情に、俺の胃は痛み始める。
 弄んでたって……そっちのほうが不祥事だろうが!
 「せーんーごーくー! なんでお前が止めなかったんだよ!」
 俺は再び千石のネクタイを締めあげる。
 「えー? だってなんかお互い楽しそうだったしさー。あれ、南ったら新渡米にジェラシー? それだったら妬く相手が違うんじゃない? 例えば、雅……俺とかさっ♪」
 ……心なしか、千石のネクタイを締めあげる勢いが激しくなる。
 それに気づいたとも思えないが、喜多がぱたぱたと手を振って否定する。
 「あー南先生、たいしたことないですよー! ほら、南先生と東方先生がヤられてたアレなだけですから! そうそう、あの後オレと千石先輩もされたんですよ! ねー、千石先輩!」
 「ねー☆ みんな仲間だねー!」
 「ねーじゃない、そんな仲間いらんわ! ……ああでも、キスしただけか……ってお前、他の学校の先生にもしたのかッ!?」
 「う〜ん、しちゃったみた〜い。ってアタシ、おぼえてないんだけどっ☆」
 「『おぼえてないんだけどっ☆』じゃないだろう!」
 俺の胃はキリキリと痛む。
 「気にしないでください南先生! そのかわり、新渡米先生はその先生たちに弄ばれてましたから……芽を!」
 ――なんだ、弄ばれてたって芽のことかよ。それならひと安心だな。……じゃなくて!

 俺が訊きたかったのはそのことじゃなくて……いやそのこともあったけど、それは何事もなかった(強引にでもそう思わないと、もう俺の胃がもたない)ということで、あとは何の会議が明後日に入ったか、ってことなんだよ!
 この忙しいテスト一週間前に! 授業は午前中で終わるから、生徒はヒマ――そりゃ本当は勉強してて欲しいけど――だろうけど、科目担当の教師はテスト問題を作ったり、作ったテスト内容によって授業計画を直前で調整したり、かなり大変な時期に入るのである。(テストさえ作ってしまえば、授業以外で忙しいことはないんだが)
 そこで、他校との会議が入るだなんて…………
 ……他校の学年主任と、社会科担当教師(前にも書いたが、俺は社会科担当である)のメンツを思い浮かべると、どちらの会議もありうる気がしてしまう。そして、どちらかがわからないと非常に困る。会場も知りたい。
 ――そして、俺が地味だからって、連絡網(?)から外されたとも思いたくない。

 「おい千石……喜多でもいい! どっちなんだ、さぁ思い出せ! 会場と時間も思い出せ!」
 「えー、オレは無理ですよう。オレがトイレ行ってる間に、千石先輩が聞いてたみたいですよー?」
 喜多がそう言うので、俺は千石一人にターゲットを絞るつもりだったが、千石のほうに振り返ると、目の前に電話を置かれた。
 「南先生、人に頼っちゃダメだよ! やっぱりこういうことは自分で、他校の担当の人にちゃんと訊かないと! ……じゃ、そろそろ一時間目が始まるからオレ、行くねー♪ さ、みんな今週もがんばってこー!」
 無責任極まりないことを言い放ち、千石と他の教師は職員室を出ていった。
 「待て、俺も授業があるんだよ!」

 それから俺もあわてて担当クラスに授業に行ったが、休み時間になって考えるのは、その電話のことだけだった。
 テスト一週間前は教職員のテスト問題作成のため、生徒の職員室への立ち入りは禁止されているが、俺の今の精神状態では正直、テスト問題を作るどころじゃない。
 ――実は俺、電話はあまり得意じゃないんだよな。
 正直言えば、避けたいくらいである。
 しかも、電話をかけて問い合わせて、明後日のものが社会科の研究会なのか主任会議なのかを訊いて、スムーズに答えがわかりそうな先生(つまり、社会科教師で主任事情に通じている人間)というのは……二人ほど思い浮かぶんだが、どっちも威圧感があるというか、電話でわざわざ訊くのがはばかられるというか……。
 それに、うっかり千石がナンパした相手の学校だったら、怒られるというか叱られるというか、とにかく注意されそうだし……。
 そんなことを考えつつ、電話をにらんで逡巡していると、胃痛もいや増すというものである。

 ……仕方ない。
 こんなことで胃痛を抱えているのもしゃくだけど、よく保健医に「胃が痛いと思ったら、無理しないで薬を取りに来い」って言われてるし……保健室に行って、胃薬もらって、それから覚悟を決めて電話しよう……。 
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