22 南 | back | next | top |
とうとう放課後、保健室に胃薬を取りに行く決心を固め、俺が席から立ち上がると、ちょうど錦織が職員室に戻ってきた。さっき保健室に行くと言っていたから、帰ってきたんだろう。 「おっ、地味ー、複数形になりに行くのか? そうだな、無理はいけないからな」 「俺に英語の授業はしなくていい。……ちょっと保健室に用があるだけだよ。お前こそ、休みの間くらい無理はしないで……その、室町にも……」 錦織と室町のことは、はっきりとはわかっていないので、最後のほうはぼそぼそと小声になるが。 「ああ、無理っていうのは主任のことだけじゃないぞ?」 最後のほうの言葉は聞こえなかったらしく、錦織は自分の席に座り、手帳をのぞき込みつつ、意味ありげなことを口にする。 「……どういうことだ?」 「今日の保健室はちょっと寒いみたいだから、な。とにかく、あんまり意地張らないで、たまには頼り合ってもいいんじゃないか……と思ってさ」 「???」 今日は天気も悪くないし、とりたてて寒いわけじゃない。 謎の発言に俺が困惑していると、いつの間にか室町が錦織の後ろにそっと立っていた。 「誰かさんみたいに、一方的に頼りすぎなのもどうかと思いますよ。しかもその手帳の中……」 「まあまあ、これが俺の元気の素なんだし!」 「恥ずかしいじゃないですか! そんなの、人に見られたら……」 心持ち赤面している室町に、錦織は「俺は気にしないよ?」と爽やかに笑いかけ、手帳を閉じた。 「まったく、貴方って人は……」 室町があきれたようにため息をつく。 ――どうやら俺の入り込む隙はなくなったようなので、二人を放っておいて俺は保健室に向かった。錦織の、俺への言葉の意味を考えながら。 コンコン、とノックしてドアを開け「東方……」と呼びかけようとしたら、いつもいるはずの場所に、雅美の姿がない。 錦織は「保健室が寒い」と言ってたけれど、閉めきってあるせいか、却って暑いくらいである。 ロッカーのドアは開けっぱなしになっていたので、中を見てみると雅美のジャケットがあるし、デスクの上も仕事の途中、という感じだ。 不思議に思ってベッドのほうをのぞいてみると、雅美がそこに倒れこむようにして寝ていた。 「まさ……っ……」 保健室には他の人間の姿がないので、思わず駆け寄り、額に手を当てる。 ――明らかに熱い。 「……ったく、いつも俺には無理するなって言うクセに!」 俺は胃の痛みも忘れ、これからやるべきことを考えた。 ――まず、生徒には悪いが、保健室はもう機能しないので、カーテンを閉めて回る。 それから、雅美が起きたときに気づくよう、『今日は俺が送って帰るから、それまで寝て待ってろ。携帯の電源は入れておくから、なんかあったら電話すること! PS,保健室の鍵は借りた、悪い。後で返すから、心配するな』と書いたメモを雅美のデスクの上に置き、デスクのスタンドを小さく点けておいた。 メモの通りに保健室の鍵を拝借して、中には誰もいないと思われるように部屋の電気をすべて消し、部屋の鍵を閉める。 「ふぅ……」 一つ息をつき、俺は次にやるべきことのために職員室に戻った。 「もしもし、あの……山吹中学の南と申しますが、手塚主任をお願いできますか?」 俺は、青春学園の主任であり、社会科担当教師である手塚に電話をした。 『手塚だ。どうした、南先生』 「えーと、わざわざすまん。今……時間、大丈夫か?」 そんな感じで、明後日行われるのが社会科研究会で、18時に青学集合だということも確認した。 『やると言い出した人間は、自分の学校でやりたがったが、みんなが集まるには、あそこは遠いだろう』 「……そうだろうな」 ――やっぱり、言い出したのはあの先生か……。 俺が脳裏にその人間の顔を思い浮かべたとき、手塚は「では、明後日会おう」と電話を切ろうとするので、俺は慌てて「あ、ちょっと待ってくれないか」と別の先生に代わってもらえるよう頼んだ。 『もしもし……お電話、代わりましたが……』 やや気弱そうな声が、電話越しに聞こえてくる。 「こんにちは、河村先生。お呼び立てして、申し訳ありません」 相手は青学の家庭科教師、河村先生だった。 あまり話したことがない俺に突然指名されたら、戸惑うだろう。 そうは思ったが、俺はどうしても河村先生に頼みたいことがあった。 「河村先生は、うちの亜久津とその……幼なじみなんですよね?」 『あ、はい、そうですけど……あいつが何か?』 「いえ、そうだというか、そうじゃないというか……」 自分の同僚のことを、他の学校の先生に頼むというのも気は引けたが、亜久津の元気がないことは、俺たちではどうしようもない気がしたので、河村先生に相談してみることにしたのだ。 亜久津のプライバシーに関わることは言わないようにはして、とにかく亜久津が少し元気がない、ということを説明すると、河村先生は心配そうな声になる。 思ったとおり、優しい先生のようだ。 ――おそらく、亜久津が家庭科教師になることを選んだのも、河村先生の影響があったんじゃないかと思う。本人は否定するだろうが。 「……それで、こんなことを頼むのは筋違いかもしれないんですけど、なんとかあいつを元気付けてやって欲しいんです。お願いしても……いいですか?」 『あ、はい、かまいませんよ。じゃあ近いうちに、うちの実家に来るように誘ってみます』 「……実家に?」 河村先生なら間違ったことは起こらないだろうと思ったが、思わず言葉が口をつく。 『うちの実家、寿司屋なんですよ』 「ああ、そうなんですか……」 それなら安心だな、と思った瞬間。 「やだなぁ、南先生……だっけ? 河村先生をそんなふうに疑われるとは、心外なんだけどね」 なぜか背後でにこやかな声と、身も凍りつくほどの空気が通り抜けた気がして、俺は思わず周囲を見回す。 ……しかし、そこには誰もいない。 『あ、うちの同僚の……不二先生も、亜久津を元気づけるのに協力してくれるって言ってますから。南先生も、ご苦労さまです』 「いや、あの、はい……よ、よろしくお願いします」 ああ、さっきのは不二先生の声か……ってなんで俺の背後から聞こえたのか、しかもかなり不穏な内容だった気がするのは非常に不可解だったが、その答えを探しても仕方がないと思ったので、本能的に考えないことにした。 俺は電話を切り、もう一本電話をかけてから自分の帰り支度をして、また保健室へ向かった。 保健室に戻ると、俺が入ってきた気配に気づいたらしく、雅美がベッドで身を起こそうとする。 「健太郎……?」 「まったく、文字通り医者の不養生だな」 さんざん心配はしたのだが、優しくいたわるような口調にはなれず(……俺もたいがい意地っ張りだよなぁ)、ロッカーからジャケットを持ってきて雅美に渡す。 「ほら、白衣脱いで。これ着ろ」 「……錦織……何か言ったのか?」 「はぁ? 何かって……よくわかんないことは言ってたけど、関係あるのか?」 「いや、それならいいんだが」 いつもより緩慢な動作で雅美がジャケットを着ている間に、適当にデスクの上を片付け、今日の荷物と思われるものを、彼の鞄に詰めこんだ。 「他に何か、持って帰らなきゃいけないものは?」 首を振る雅美に近づき、「立てるか?」と尋ねる。 「さっきタクシー呼んだから、せめてそこまで歩いてくれよな。なんなら肩貸すから」 「……すまない、健太郎」 「こういうときくらい、おとなしく俺の言うこと聞けよ」 ぷいっ、とそっぽを向きながら、俺は雅美に肩を差し出した。 なんとか雅美の部屋に着き、さっさと寝巻きに着替えるよう雅美を寝室に蹴りこんでから、失礼して冷蔵庫をのぞく。 「……酒や肴ばっかじゃないかよ……」 俺がぶつぶつ文句を言うと、雅美が寝室の入口から声をかけてくる。 「男の一人暮らしなんだ。あまり食材を買い込んでも、賞味期限が心配になるだけだ。……南くんが料理をしてくれるというなら、いつでも食材はそろえておくが?」 「お前ってやつは、風邪ひいても口が減らないのな」 いつもなら一発こづいてでもやるところだが、今日はさすがに大目に見て、ため息で済ませる。 「俺、これからなんかまともな食べ物と飲み物買ってくるから。無理しないで寝てていいぞ、っていうか寝てろよ」 そう宣言して俺が部屋を出ようとすると、雅美が鍵を投げてくる。 「健太郎、忘れ物。これがないと、部屋に入れないだろ」 段取ったつもりで、肝心なところが抜けていた。フォローされてるなぁ、俺。 「あ……悪い、借りてくぞ」 いつもより高めの体温で温まった鍵をキャッチして、今度こそ俺は部屋を出た。 ――食べ物って言っても、俺はそんなに手の込んだものができないから、レトルトのお粥あたりがせいぜいだよな。亜久津か河村先生に、病人食のコツの一つでも習っておけば良かったかも……まぁ、過ぎたことは仕方ないけど。 それから自分の部屋に帰って、明日の荷物と着替えを持ってきて……もし明日の朝、まだ熱が下がってなくても、雅美は学校に行くって言い張るんだろうな。 そしたらどうやって休ませるか、それが問題だな……。 やれやれ、意地っ張りの相方を持つと大変だ。 |
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