25 東方backnexttop
 「雅美、ちょっと目ぇつぶれ!」
 そう言われた時、正直腑に落ちなかったが、まさかあんなことをしてくるとは思わなかった。
 確かに彼氏──あいつからしたら俺も彼氏だが──からされて、嬉しいし、健太郎からこんなことされるなんて、きっとこの先ずっとないし…自分で考えて切なくなったが、でも、驚くよ、そりゃあ。

 俺は健太郎が嵐のように去っていったあともしばらく、椅子に座ったままボーっとしていたが、さすがにここは言いつけを守っておこうと、放課後は大人しく定時で上がった。

 帰り道車を走らせながら、さっきのことを思い出していた。赤信号で停止すると、唇に感触が生々しく蘇ってきて、思わず指先で確かめてしまう。
 だってそうだろう、俺が毎回怒られる原因を、自分で掘り起こしてくるんだからさ。よりによって一番規律や常識を重んじる主任がさ。
 まぁ百歩譲って、健太郎がしてくれた、病み上がりの俺への計らいを無視して、朝っぱらからスペアキーを作りに行く俺も相当気持ち悪いと思うが、でも言いつけを守ってきちんと一日静養していたんだし。
 というか、俺が「遠回しじゃなくて、きちんと思っていることを口で伝えよう。社会人として、オン・オフを切り替えて節度をわきまえよう」って、まぁ当然のことだけれど、改めて決意したのに。

 信号が青に変わると、車を発進させる。気分転換に音楽でも、と思いボタンを押すと、中に健太郎が持ってきていたMDが入れっぱなしになっていて、また思考が逆戻りする。多分日曜に家まで俺が送って行った時に、健太郎が聴いていたものだ。
 基本的に電車で通勤しているが、今日は折角空いた平日の午前中をと、合鍵作り以外にも所用があって、車で来てみたのだ。

 ちょっと前までさ、なし崩しでそういう方向に持っていくのは、二人のためにならないというか、距離まで置こうとしていたのは南くん、君じゃないのか。
 あれは、何だったんだ?

 俺は単純に、またこういうことがあったら、健太郎には俺からだって頼る、俺だって信頼してるぞ、ってことだったんだが、これもどうやら遠回しだったのか…。
 何、どうやったら伝わるんだ、君には?

──そういえば、俺はスペアキー貰ってないが、その前にバカって何度言われたんだろう。
 多分あのメンツの中では俺ぐらいしか、自惚れではなくてそういうことも言えないんだろうし、俺もそういう役目の位置が好きだし、なんていうのか、昔はそういうポジションで色々健太郎を観察していたから、理解できるところも大きいんだが。仕事の面で俺に当たってくれるのは、一人で不安を感じちゃって溜め込んでいるより、よっぽどいい。

 だが、二人の関係においてはどうなんだろう。
 健太郎は「お仕置き」って言ったが、相手が俺な時点で、無効だということに、気付かなかったのだろうか。健太郎以外にされたらどうかっていうかさ、前から思っていたんだが、全部俺が翻弄していることになっているみたいだが。

 ──天然って罪だよな。今日の、誘ってるって俺がとったら、どうするつもりなんだ?

 健太郎の中では、常に俺が一歩リードしていて、余裕持っていることになっているようだが、そんなの、身に付けなきゃ長年相方として傍に居られるわけなかったじゃないか! 健太郎に惚れた時点で俺の負けとか、そういう考えが一切ないから、心配なんだよな。結構思い込みが激しいし──人のこと言えないが──、今度また、何を思い立って本能で仕掛けて来るんだか。

 ──まさか、禁断の保健室プレイに目覚めたのでは…おっと。

 なんでこんなに、キスひとつされたぐらいで動揺しているんだ、俺は。よし、決めた。さっきので南くんは確実に、校内禁止のルール違反で俺に「お仕置き」の機会を1回与えてしまったわけだが、多分また、俺の方からセクハラ──なんで俺からだと同じ愛情表現でもこんな呼び名になるんだか、切ない…まぁ、日頃の行いのせいもあるよな…──があると踏んでいるだろう。

 ──そこを逆手にとって、また健太郎からくるまで、そっけなくしてやろう。勿論、冷たくするんじゃないが、今度はさ、自分の意志で俺のところまでおいで。

 次に俺に流されたって言い訳してきたら、おまえには意思がないのかって訊き返してやるから。
 同じ男なんだから、対等にって望んでいるのは、そっちだろうってね。

 問題は俺の方が持つかということだが、そこまで獣じゃないはずだ、…多分。
 俺はそんなことを考えながら、アクセルを踏んだ。
 でも、研修は頑張って欲しい、なんて勝手なのだろうか。
 ま、嬉しかったが、こんなこと、あっちが素直にならない限り、言ってやらない。
 俺をどこまで翻弄すれば気が済むんだ、健太郎は。

 ──これってやっぱり、惚れた弱味だよな…。
 backnexttop
index