28 南 | back | next | top |
買い出し――といっても、近所のスーパーに行くだけだから、「一緒に行かないか?」の言葉がのどまで出かかった。 けれど、それが引っかかって言えないうちに、雅美が近くに車を停めっぱなしだと俺に告げたので、半分残念なような、半分ほっとしたような気持ちで車を見送った。 鍵を渡す、なんてことよりもずっと軽いはずのその一言。どうしてそれすら言えないのかわからなかったけれど、今そのことを考えるのはやめておいた。 とりあえず、目の前のテスト作成に集中することにする。あいにく、二つ以上のことを全力で考えられるほどの器用さが俺にはないからだ。 文房具売り場で必要なものを買い、昼飯を調達するため食料品売り場に寄る。 出来合いの弁当でかまわないらしく、それぞれ希望する弁当の名前が、出がけに宍戸から渡されたメモに記されている。俺は弁当のコーナーまで来て、メモを取り出した。 俺は見てから選ぼうと思ったから、合計で……あれ? うちで飯を喰う人間は五人だよな? ――注文された弁当がひとつ足りない。 「サンドイッチ弁当、カツ重、チキン南蛮弁当……俺はコロッケ弁当でよくて……誰だろ、頼んでないヤツ」 本当にこの注文でいいのか確認するため、宍戸の携帯にでも連絡しよう、と自分の携帯をポケットから出そうとする。 ――と、後ろからどこかで聞いたような声がした。 「淳はゼイタクすぎるだーね! 白飯ぐらいレトルトでガマンするだーね!」 「……え?」 振り向くと、そこにはアヒル――もとい、アヒルのように口をとがらせて携帯に向かって文句を言っている柳沢慎也がいた。手に持った買い物カゴからは、長ネギが伸びているのが見える。 ……まさかルドルフ周辺からこの界隈に買い物に来るなんて、偶然じゃないよなぁ……? 「あの、すいません……お取り込み中申し訳ないけど……」 「なんだーね、人の電話中に!……ああっ、山吹の地味ーズだーね!? 偶然だーね! なんでこんなとこにいるだーね!?」 「そりゃこっちのセリフだっ!」 それに今は複数形じゃないし!……じゃなくて、そもそもどうして俺が、他の学校のヤツらにまで地味って言われなきゃならないんだよ! 「オレは淳に呼び出されただーね! 地味ーズの片割れの家にいるけど、昼飯に豚汁が食べたいって言われただーね! しかも炊きたてのご飯がいい、なんて言われただーね!」 興奮気味に言われ、俺は弱々しく返す。 「お、俺に怒るなよ……」 ――だいたい、人の家にまで同僚を呼びつけて、豚汁を作らせようとする木更津(弟)が信じられない。しかも呼びつけられる柳沢も、かなり人がいいというか。 『クスクス……南、そこにいるんでしょ。代わってよ』 柳沢の電話から、木更津(弟)の声が聞こえてくる。 「なんなんだよ。自分の同僚を人の家まで呼びつけて、豚汁作らせるつもりだったのか?」 『うん、そうだけど?』 あっさり返ってきた答えに、なぜか俺が敗北感を感じる。 なんでだ!? 俺の非常識は、一般的非常識と違うのか!? 『それで、まだ他のヤツらの分の弁当買ってないよね? みんなに訊いてみたら、昼、豚汁とごはんと、なんかおかずがあればいいって言うから、弁当買わなくていいよ。だから、ソレ連れて帰ってきてね』 「あっ、おい!」 「ソレってなんだーね!?」 俺たちの叫びも虚しく、電話はぷっつり切られた。 「おい、柳沢。木更津(弟)はいつもあんななのか……?」 「……そうだーね……言い出したら聞かないだーね……」 「そっか、お前も大変なんだな……」 がくり、と肩を落とす柳沢が哀れで、思わず俺は肩を叩いて慰めていた。 豚汁と、副菜の材料を買い、ルドルフの名義で領収書を切ったことで内心少し溜飲を下げながら、俺は柳沢を連れてアパートに戻った。 「なんでですか!? だって宍戸さん、あんなに好きだって言ってくれたじゃないですか……!」 「それとこれとは話が別なんだよ! だいたい、こんなとこまで来てんじゃねーっつーの!!」 ――どうして俺の部屋の前で、昼メロみたいな修羅場が行われてるんでしょうか……しかも、大の男が二人ですよ……? というわけで、俺の部屋の前で宍戸と鳳が言い争っていた。 「おー、痴話ゲンカだーね?」 まったく他人事のように柳沢が言う。 「バカ、俺の部屋の前なんだよ! ご近所に聞こえるだろうが! ちょっ、二人とも……!」 「おう、南。お帰り」 あわてた俺に、宍戸は落ち着きはらって応える。 いや、そんな返事をしてほしかったわけじゃなくて……! 「あ、南さん! 南さんからも言ってあげてくださいよ! それとも宍戸さん、まさかキライになっちゃったんですか!?」 「そ、そんなこと言ってねーだろが! でもオレにだって付き合いとかそのときの気分とかあんだよ!」 「宍戸さんがそんな人だなんて……見損な……見損なうことなんてできるわけないじゃないですか……!」 ――あのー鳳くん、俺に何を言えと? しかし、くずおれる鳳に追いうちをかけるようなこと(?)は、俺には訊けなかった。 「悪ぃな、気にすんな」 普通、気にするって。しかも俺の部屋の前だし。 ……でも、痴話ゲンカの仲裁は正直遠慮したくて仕方がないんだけど、ここでケンカされたからには、しないわけにもいかないんだろう。 「南ー、オレは先に行ってるだーね。台所、借りるだーね」 「ああ、いいよ……」 アバヨ!とばかりにポーズを決めた柳沢が、ドアの向こうに消える。 「あのー、よくわかんないけど、とりあえず……」 「とりあえずお前は用無しだ。帰れ」 宍戸が冷たく言い放つ。 「そんな、宍戸さん! ひどいじゃないですか、俺はこんなに宍戸さんのことを思って……」 なおも喰い下がる鳳と、さっさと部屋の中に戻ろうとする宍戸に、俺は叫ぶ。 「いや、だから! そういう話はとりあえず中でやってくれ! ご近所に迷惑だろ!」 もう既に聞こえてるかもしれないけどさ……この先どうするよ、俺のご近所付き合い。 お先真っ暗な気持ちで鳳も部屋に迎え入れたが、事情を聞いてみると、なんのことはない。 「宍戸さんはチーズサンドが大好物なんです! だから俺は、宍戸さんの大好きなチーズサンドを作って差し入れようと、ここまで来たんですよ!」 「それが余計なんだっつーの!」 ……なんだよ。好きだのキライだの言ってたのは、チーズサンドのことかよ……。 お前ら、今のもう一回外でやれ。『チーズサンド』って固有名詞出して! ――と言えたら、俺は普段から胃痛に悩むことなんてなかっただろうな。 「あ、美味しそうじゃない。洋食も好きだし、サンドイッチが一緒にあっても僕はかまわないよ? クスクス」 木更津(兄)が言うと、宍戸が不機嫌そうに「そういうこと言うと、こいつは調子に乗るんだよ……」とぶつぶつ文句をたれる。するとその通り、鳳はにこやかな笑顔を見せる。 「あ、そうですか!? ぜひ皆さんも召し上がってください!」 「鳳ー、手が空いてるんだったら手伝うだーね!」 「ハイ、わかりましたー!!」 台所から柳沢に呼ばれて、鳳はいそいそキッチンに向かう。 「で、さっき頼んだ糊とテープは?」 「はいはい」 木更津(弟)に要求され、俺は買ってきた文房具の袋ごと手渡した。 「すみません、南さん……後で清算します。あ、言い忘れてたんですけど、テスト問題完成打ち上げ用にこれ、持ってきたんで冷蔵庫に入れておいてもらえますか?」 殊勝げな桜井が、ナップザックの中からビニール袋を取り出す。 「あ、ビールじゃん。気が利くね、クスクス」 「いえ、それほどでも……あ、あと、これが自分のオススメです」 木更津(兄)に褒められ、桜井がさらに焼酎の瓶を出すと、木更津(弟)と宍戸からも歓声が上がる。 ――四次元ポケットか、そのザック……。 だんだん、何の主旨だかわからなくなってきた集いにため息をつきつつも、俺は冷蔵庫に酒を突っこんだ。 「こうなったら、片割れもさっき来たんだから、入れてやれば良かったのによ」 宍戸が俺に言う。 「なんだーね? 東方も来てただーね?」 ちょうど柳沢(と鳳)は、完成した昼食を盆に載せて、居間まで運んできたところだった。 「い、いや、あの、あいつは……」 しどろもどろになる俺のかわりに、宍戸が応える。 「ああ、さっき南にテストの資料返しに来てたぜ?」 「なんで保健医のアイツが、南に資料借りただーね?」 「それは……」 うまい言い訳を考えつけず、俺は雅美が風邪を引いて看病しに行ったこと、そのときに資料を忘れてきたことを(俺たちの関係がバレないよう気をつけつつ)、正直に話した。 すると柳沢はおかしくて仕方がない、といった様子で笑い転げる。 「あ、アイツ風邪引いただーね……!? 医者の不養生だーね! 今度研究会で会ったときにそのネタでからかってやるだーね!!」 ――あ。柳沢って、ルドルフの保健医だったんだっけ。 いちばん大事なところは隠せたけれど、なんだか雅美に申し訳ない気分になる。 ご、ごめん雅美……。 そして夜、無事全員のテスト問題が完成し、また柳沢と鳳がつくってくれた料理を肴にして、めでたく打ち上げとなった。 …………めでたく? |
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